成長するものだけが生き残る

成長するものだけが生き残る
この本のお蔭で、僕のスコトーマ(盲点)がはずれた。

この本のまえがきに

成長したいという欲求は、人間だけが持つ欲求で、他の動物にその欲求はありません。心理学者のマズロー博士がいうように、私たち人間は低次元の欲求から始まって…自己実現欲というように、たえず欲求を高度化させずにはいられません。

夢を描く、ひとつひとつ目標を描き、段階的に達成していくことに喜びや幸せ、その達成プロセスを通じて自分の能力や内面を向上させていくことが成長だと説いておられる。

この本の著者、上原先生は、ゼロエミッション技術の開発の風当たりが非常に厳しい時代から、やめさせようと様々な圧力を加えられずもめげずにやり遂げた方。海洋温度差発電の第一人者で、そのプロセスで内面をどのように強くして夢を実現させるのかという秘訣が、この本にまとめられている。

「目標を口にすることで、成長回路を刺激する」では自己評価よりも他人からの高い評価がその人を著しく成長させる刺激になることを指摘。さすが教育者という一面をしめしておられる。

石原先生のブログでの紹介

ということで、この本から夢を実現させる秘訣について紹介しようと思う。

 

我が人生、前進あるのみ。

時は1989年。世の中はバブル経済の絶頂期を迎えていた。

その頃僕らは、超男前のダンディ店長と19歳、20歳、21歳の超男前の若い衆3人組という部隊を作り、営業に回れば軒並み新聞を鞍替えさせて主婦層のファンを獲得し、配達に出ればあちこちで挨拶された。

僕ら3人組の制服を企画し、東急ハンズで作ってそれを着て区域を回った。ミニ四駆イベントも凄かった。読者フォローアップ時には『あのチラシご覧になりましたー?』のフォローも行なったので店頭での反応も素晴らしく、フォロー付きチラシ入れて欲しいとお願いしてくる店舗は数知れず、断らないと行けないほどだった。あるお店など、僕らが居ないあいだにこそっと多めのお金とチラシの束を忍ばせて無言の『御願い!なんとか突っ込んで』というありさまだった。

こうして弱小販売店は超優良販売店になっていった。19歳の親友はマーケティングの天才だった。彼がする企画は次から次へと当たった。大当たりだった!誰に教わったわけでもなく、何が楽しいか?何がウケるか?いつもアンテナ張って、タイミングよく実行に移した。人々の心をがっちり掴む凄いやつだった。

世界の常識を破壊したDOS/Vのインパクト

親友の彼が新聞配達管理コンピュータを操作しているのを横に見ながら、彼の手元に目をやるとそこに「ASAHIパソコン」という雑誌があった。「DOS/Vは世界を変える!」というような見出しが飛び込んできた。「なにこれ?」僕が尋ねると「これ読んでみてよ。きっと世界が変わるよ。もう読んだし貸してあげるよ」PC/AT互換機のコンセプトを語ったIBMの大崎勝彦氏の記事が数ページに渡って掲載されていた。NECのPC-9800シリーズのアーキテクチャーの問題点を指摘し、全世界に低価格で普及できるパーソナルコンピューターの可能性について大崎氏は語っていた。

衝撃だった!これが僕の人生を変えた。

衝撃をうけてすぐ、その雑誌を買いに走り貪るように読んだ。その記事の内容をほぼ一語一句記憶するほどに。以降しばらく「朝パソ」とも呼ばれたその雑誌は僕の必読書となった。パソコン持っていないのに、どんどん詳しくなっていった。

パソコンを買う

1991年の秋、コンパックがDOS/Vを引っさげて日本に上陸した。DOS/VはそれまでIBMが作り上げてきたコンピュータの世界観を、広く一般に普及させるためアーキテクチャー情報を公開し、その上で、多言語マシン統一規格の基本コンセプトと新しい日本語キーボード配列の規格を公開。そのライセンス料を徴収しないというこれまでの常識を覆す画期的なビジネスモデルを提供した。

いよいよ日本発売に合わせて30万円の資金をなんとか調達し、486SXマシンを買いに行った。大阪日本橋のソフマップに行列して買ったんだ。なんだか懐かしい。モニターもついて凄く大きくて重い箱を、駐車禁止の取締は厳しくなかったので、その辺に止めておいた自分のワゴンに載せて(たぶんトヨタ・カルディナ2.0DZ。トヨタのディーゼルエンジンって素晴らしかった)自宅まで運び込んだ。

コンパック社製486SXだ。ワクワクしながら開封。ほんとうに超ワクワクした!世界が広がっていく気がした。まだOSは入っていない。何十枚もあるWindows3.51のフロッピーを入れてはロードし入れてはロード。それをず〜っと繰り返す。ご飯も食べずに動くまでず〜っと。もう頭の中は何もしてないのにメントール状態。それ思い出すだけでもそのメントール感も思い出せる。

そして、いよいよOSとご対面。当時はディスク・オペレーティング・システムのほうがOS本体よりボリュームが大きかったので、OSではなくDOSと呼ばれた。

最初の出会いは衝撃だった。もう無我夢中でほぼ3日徹夜作業をしていた。仕事もプライベートも充実していたから、若いってのは凄いパワーなのだと思う。

毎日毎日もう楽しくて楽しくて仕方がない。夢中で触ってふと部屋の散らかりをいい加減その高価なマシンに沿うように美しく整えようという衝動に動かされた。そして改めて、散らかった部屋を整理し箱のラベルを見てみると…

「486DX」(…え?)

僕は確かに486SXを購入した。30万円払ったぞ!ソフマップ 486SXってたしかにレシートに書いてある。

でも保証書は…486DX(@a@)すぐさまソフマップ日本橋に電話した。

僕:「すみません、先日購入したコンパック 486SXモデルのマシンなんですけど」

sofmap:「はい。どうされましたか?」

僕:「レシートには486SXって書いてあるんですが、箱には486DXって書いてあるんです」

sofmap:「では保証書にはなんとありますか?」

僕:「486DXって書いてあります」

sofmap:「…あ〜…それ〜、それいいです。使ってやってください。では〜!チンっ」

うそっ!(@▽@)こ、これ45万円もするモデルだよ!ほ、本当に欲しかったのはこれなんだ。

『ありがとうございます!』僕はたなごころを広げ感謝した。

もうパソコンに夢中になった。無我夢中で触った。寝食忘れて取り組んだ。そしてパソコンのスキルはどんどん向上していった。

年下の親友は優良販売店の賞を受けた後まもなく新聞屋を辞めた。そしてその店が超優良販売店の地位を不動なものにした時、僕の夢はもはや違うところを向いていた。1992年春、辞めた。

メモリー拡張で「マグネットコーティング」

程なくして僕の手には遅いマシンとなっていった486DX。
1stガンダム名場面の一つ「マグネットコーティング」張りにマシンを増強しなければもはや闘えない。遅いのだ。
なけなしの5万円を握りしめ、お世話になったあのソフマップに走った。そして購入したのは5MBのメモリー。当時はそんな時代だった。

モデム装備し世界に船出「ネットサーフィン」

1995年にはインターネットが日本でも解禁。アナログ電話とパソコンとをつなぐモデムという機能をパソコンに載せるためモデムボードを買いに行き、これも5万円するボードをパソコンをばらして組み込んで、テレホーダイの契約をして、その時間になったら「ピーコンピーコンギーガージャー」って繋いだ。マイクロソフトのプロバイダ”msn”だ。

まだアメリカでも始まったばかりで、msnの通信料金徴収システムがうまく動かず数ヶ月放置され、溜まっているのに気づいて徴収されるというシステム。まるで新聞の滞納みたいで、メールで「そんなんいきなり多額の徴収されても払えません!」って苦情のメールを投げたら「ではお支払は結構です」って全額無料になった。その件はパソコン雑誌でも話題になったが、そんな時代だったのだ。

その頃のブラウザーはネットスケープナビゲーターというもの。いまはもうなくなってしまったが、コアの技術はMozillaとして受け継がれている。

HTMLという言語でページを作れば、誰でもすぐ世界じゅうに情報を発信できる。国境も言語の壁もなく、全てのボーダーを取っ払った自由奔放でまだ何もない世界が始まったばかりだった。電子メールさえあれば、わずか数秒で地球の裏側にただでメッセージを送れる。文字ベースであればチャットでリアルタイムに会話できる。こっちが夜の10時で向こうが朝の9時でも。

衝撃だった。世界観が変わった。「まもなく地球は1つになる。インターネットがベースになる」1995年の秋だった。そして「僕はこの世界のプロフェッショナルになる。今から初めて5年すれば、まだ誰も気づいていないから、僕は最先端に立てる。2000年、僕はインターネットのプロになる。」そう決意した。

IT業界への転職

そして新聞屋の後、5年勤めた建設会社を辞め、IT業界に転職した。配属先は住友生命の通称:南港サティアン。1995年のあの事件以降、そしてこれから始まろうとしているプロジェクトの過酷さから、その呼び名が定着し今なおそう呼ばれている。

全国のシステムをTCP/IPで一気にリプレースするという壮大なプロジェクトだ。そのコントロールセンターを立ち上げるために「インターネットがわかる」というそれだけで入り込むことができた。

映画で見るあの世界、データーを記録するテープや数多くの巨大コンピューター、それらをつなぐ業務用ルーターの数々、美しく配線された無数のネットワークケーブル…それらが物凄い巨大な建物を何階層に分けて、ICカードのセキュリティーと指紋認証、最後に対面チェックを含めてガチガチにガードされたセンターで仕事を初めた。

もう毎日が刺激的だった。

土台が変われば、その上に築くものが変わる

HTMLの可能性については現場の人間はまだ誰も知らなかったので、業務マニュアルをHTML化して自分のPCに置き、同僚や上長に飲みのついでに(毎晩飲みに行って、毎週飲み会でタクシーチケットで帰らせてもらえた。300億円という凄い予算がついていたので、そのおこぼれに僕もあずかることができた)その話をして自由にアクセスできるようにしておいた。

プロジェクトの終了の打ち上げで、仲良くして頂いた本部長が僕を呼び、支社長に「彼がこの〇〇を〜〜した神戸くんです」「お〜君がそうか。なかなかイイ若者じゃないか。どうだ我が社の社員として招きたいんだが人事には既に話してある」との申し出。

「大変ありがたいお話ではあるのですが。」

自分がしたいと思っていたのとは少し違うことを薄々感じていたので、丁重にお断りした。「残念だ!実に残念だ!君のような人に活躍してもらって社を変えたいんだ」という熱いお言葉に心から感謝した。

それで僕は「いける!まだまだいける」と確信した。

【続く】かな?

PanasonicブランドのプロバイダHi-HOテクサポ起動させる

社員ばかりだとどうしてもテクニカルサポートって手薄になるんだよね。そこをゴリッとやりました。

日本初!IT手話で世界を変えたっ!

1997年。日本初!手話でマイクロソフトオフィスのオフィシャルスクール講師は僕!その後IT手話の確率にあたってヘッドハンティング!色々あって地方自治体の講師をしたりした物語。エクセルって手話、考案はろう者だけど広げたのは僕っですっ

大崎勝彦博士との出会い

DOS/V規格を推進したのは当時IBMアメリカ研究所フェロー大崎勝彦博士。彼が現在主流の日本語キーボードの@の位置を今の場所に決めたと後日ご本人から聞いた。

この話は1998年初春、新規プロバイダーを立ち上げるってことで滋賀県草津市のとあるベンチャーの事務所に出向くと、アラジン・ストーブが炊かれていて、そこに何処かで見たような人が座っていて、一緒にぺちゃくちゃこれからのコンピューターシーンについて話していると、「この人、ニュースステーションにも出たことあるんだよ」の一言で誰かがわかった!

ストーブでぬくもりながらミカンを一緒に食べて、開発中のグラフィックエンジン用チップのウェハースを見せてくれた。「これビル・ゲイツが欲しがってね。『お前には売らん!』って追い返してやったよ。いま日本に来てるんだけど、これが目的」なんて話しながら、これからの新しいコンピュータのアイディアについて話してくれた。そのとき聞いたことが今のPCの基幹技術になっている。

この会社とは訳あって半年で辞めた。

ネット社会がネットバブル!ペコリ1回1億円!

次にワクワクしながら転職した先で「君、営業」_| ̄|○ il||li
でも、おかげで会社の看板をやがて僕が背負うことに。あっちこっちで影響力を発揮。

2000年。ネットバブル最高潮で資金ショート!三井物産担当者によろしくお願いします!と頭を下げた結果ベンチャーキャピタル含めて1億数千万円の投資を受けられたという話。

詳しいことは社長も知らないんだけど、でもそのチャンスをしっかり掴み取る社長凄い。そういうこともあり翌年この会社はオンザエッジに吸収される。

こうまんちきって俺天才。だから作っちゃえ!で「七転八倒」

2010年。犬猫ペット主体のアプリケーション開発でスケジュールを甘く見て大失敗。その前の成功体験が勘違いという悲劇を生んだ物語。

我が人生「七転び八起き」

謙虚は自己否定、それは他人を幸せにしない。謙遜は他人より自分の優れた特性を認め、同じように他人も自分より優れていることを認める。わかったとき人生が起き上がったという話。

そして今。

 

リサイクル技術の現状

岩元美智彦(日本環境設計・代表取締役会長)さんからリサイクルの現状とビジネススキームお話を伺った。

台風が過ぎ去った後、大量の傘のゴミ。回収して…どうする?心苦しい現状があった。それを固めて建築材料。ブロックにとか燃料にとか…いつまでそんなバカげたことをやっているのか!というのが本音。

もはや世界のトレンドは、傘が傘に、服は服に、作ったものは再びその作ったものに。大量のゴミ?もはやナンセンス。全て資源。それらを集めて同じ量の同じものを作る。そういうことを可能にする技術がトレンドだし、日本は実は最先端!なんでみんな知らないの!!ということです。

物質は劣化しない。なぜなら、炭素(C)、酸素(O)、水素(H)という構成元素に注目して考えれば、それらは劣化しないはずなのだ。それでこの構成要素に着目し、そこに向けて分解。それから再構成すれば質量保存の法則の通り、消失することなく元に戻せる。

しかも石油から作るのと同じように高品質なものに。

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人工知能にコントロールされて生きるのではなく…

21世紀が進んでサイバースペース(仮想空間)と現実世界との境目が曖昧になってきた。いや、むしろ世界はすでにサイバースペースと一つに結合しているんじゃないかと感じる。

世界はインターネットの網の目が縦横無尽に張り巡らされている。そこにエネルギーが注入され時間的変化が生じ、変化の移動によって、まるで生きているかのように振る舞う。

この仮想空間と現実世界が結びついたのが、ネット社会だ。

もしエネルギー注入をやめて変化がなくなればシステム停止。時間的変化がなくなるのでエネルギーの消費が無い。

それがすなわち仮想空間の生命の死なのである。

仮想空間ではデジタル信号“面”で移動することになるので、二次元世界。時間軸を加えて時間変異と変化が起こる世界なので、三次元となる。

高次元世界から低次元空間を創造ーこれがネット世界の本質。

時間軸がそこに90度に交差する三次元世界。これが仮想空間でありネットの世界。そんな平面世界の中に住む生物は、その世界を自分の目で見て正確に認知することが出来ない。なぜなら二次元生命体だから。物理的に三次元世界を認知できない。

だが四次元世界に住む人間は平面で変化するネット世界を上から目線で認知できる。認知できるから作ることができる。いつでもどこにでも直接アプローチできるしアクセスできる。

この認知の限界は人間にも言える。四次元世界での出来事を人が目で見て正確な認知はできない。2つの目は、それぞれは見たものを平面で捉え、得られた平面画像を脳で重ねて立体補正しないといけない。

この世界を一目見てわかるようにするには、さらに高次元(五次元)に行くしかないが、そもそもそんな体を持っていない。それで三次元モデルを脳の中に作って、時間と共にどう変化するかを頭の中でイメージし、見えないところは想像して認識する。でも所詮は疑似モデル。

AIは低次元生命体

低次元世界であるネット世界に対し、人は創造者として行動しその権限を持っている。その世界を支配し自由自在に使う。それがインターネットの正しい使い方であり健全な見方。

器が陶器師に文句など言えないし、もし語る能力を持ったとしてもやはり陶器師に作られた器、文句を言う権限も指令する権限もない。所詮は人が作り出した社会の疑似モデルにすぎない。

創造物より創造者のほうが上位なのだ。だから対インターネット世界に対して人類は神性を備えて振る舞わなければならない。

これは人類の尊厳であり基本的人権だ。

この原理原則から外れて、低次元生命体を高度に発達させて人工知能とし、人の行くべき道を選択する決定の肩代わりをさせると…

その向こうにある社会に幸せはあるのだろうか?

自己意識をしっかり持とう

それで今、人それぞれが自己意識をしっかり持ち、手放しても構わないものやことを見極めて手放し、大切にすべき価値観を再認識し、守るべき大切なものをしっかりと守っていこうと訴える。

人は思考をフル回転させて夢を追うから生きていける。

人類の頭脳の中で永遠に向かって幸せを捉える挑戦を継続していくこと。
これが人の生きる道、人類が進むべき道なのだ。

みんなが持ってる四次元ポケットの巻

僕は「ドラえもん」といえば「大山のぶ代」しか認められないネイティブドラえもん世代だ。1969年、ドラえもんが20世紀に登場した。

その背景にはこんなことがあった。1969年に人類は月面に到達し科学は人類抱える諸問題全てを解決に向かわせると信じられた。1970年に大阪府吹田市で大阪万国博覧会が開かれた。シンボルは太陽の塔、今にも動き出しそうなアクティブ感満点モニュメントだ。日本は最先端の道をゆくと宣言するかのようなイベントだった。そんな時期に産まれた赤ちゃんたち、その後の日本の世界をネイティブに生きたそんな世代に向けて、ドラえもんテレビ放送が始まった。

ネイティブドラえもん世代

ネイティブドラえもん世代とは、21世紀の到来をワクワクしながら心待ちにした世代だ。21世紀には超高層ビルが立ち並ぶメトロポリスに強制移住させられ、街をつなぐ高架道路を宙に浮くよう制御された無音の車で笑顔を振りまきながら移動し、真冬でも真夏でも薄い長袖のつなぎを来て快適に暮らす日本人を夢見た世代。一方でさらにその先の未来は氷河期かもしれないと怯えていた世代でもある。コナンといえば「未来少年コナン」のことで、『コナンはのび太の子孫、未来の世代の別の姿じゃないの?』との想い馳せ、バック・トゥ・ザ・フューチャーで青春時代を謳歌した時代でもある。ガンダム1st世代でもあり、ラブ・ラブ・ミンキーモモに戦闘メカが登場するという破天荒を受け入れた最初の世代でもある。そしてバブルも少し味わった。

お笑いマンガ道場世代であり、ドリフターズ黄金時代でもある。

そうやって培われた豊かな感性が「カワイイおじさま」世代のコアにあたる人々の現代の価値観を形成してゆく。LEONが好き。だから、トヨタのCMはあんな作りにしたのか!といま気がづいた。

みんな持ってる夢・実現はポケットの中に

ドラえもんネイティブ世代の記憶のいい人は、こんなフレーズをどこかで読んだ記憶があるだろう。ドラえもんが始まる最初のコンセプトの一つがこれだった。“ポケットを叩くとビスケットが増える”という大人の感性で作られた子どもだましな歌にちょっと覚め始めた世代へ、このポケットの登場は衝撃を与えた!子どもたちの感性を見事に捉えたのだ。

四次元ポケットはワームホールと繋がり、そこに広がる無限の世界から知能が思いに浮かべた好きなことを引き寄せて、現実世界に持ってくるというサイエンス・フィクションに人間の性やエゴをオチにするという超高尚なギャグ漫画。

この笑いの中で、とても自然に子どもたちの感性の中に未来を思う気持ちを植え付けられた。そんな世代が醸成された。

僕らの住む世界、それがすなわち4次元です。

ミルククラウン
3次元とは、時間が止まった一瞬の出来事を立体表現している様

話したかったのはこのこと。

縦軸横軸を直角90°交差すると2次元、その中心に高さ軸を縦軸横軸に対して直角90°交差させて3次元になる。

でも、それは時間が止まった非日常の一瞬。ここで少し思考を働かせて欲しい。

縦軸・横軸。高さ軸を同時に認識して、どこから見ても全てを直角90°と認知できる感覚を人間は持っているのだろうか?
 

実は人間はそれをダイレクトに認知できる感覚を持っていない。

目の前の物を平面で捉える目を2つ持っていて、その2つがあるおかげで、頭の中で重ねて、その重なりのズレから3次元を想像し、脳が足りないところを補正(補う…つまり勝手に想像)して捉えているのだ。

でも認知できたとしても、やっぱり時間が止まった一瞬なんてありえない。

映像技術を使っても、それは「そう見えるように処理している」だけの3次元認知。それは想像によるものだから、トリックですぐ騙される。

人間の認知力はこれが限界、なんだけど、現実世界はこの縦軸・横軸・高さ軸を同時に見て直角90度に交わるそんなところに時間軸が直角90度に交わり、過去から未来に向かってどんどん進み変化する―

これが本当の現実世界。僕らが暮らすこの世界が、すなわち四次元世界なのだ。そんな世界で人それぞれが自らの可能性を試すチャンスが与えられている。

子どものころから、ドラえもんネイティブ世代たちの感性はこういった世界の中でもまれ、そのおかげでもの凄く磨かれ、現代日本文化のベーシックを構成している。「夢って意外と簡単に叶うかも」と思う世代。

これって無理だと思うところに「これドラえもんならどうする?」的な発想をベーシックにできる世代を作ってしまった。ポケットからすっと取り出して「ほりゃらら〜」って言う感じで、単純な操作で簡単にやりたかったことをこなしてしまう。

そしてその世代の子どもたちが今や高校生なのである。こういった感性の人々が束になってかかれば、向かうところ敵なしなのだ!

お客さまは神さまなのか?

人が大きな目標を捉えてゆく過程について、原点に立って考えてみた。

人はみな成長したい。大きくなって進歩するってことは良いことだ。そのはずだ。それはクールだった。たとえば、未来の自分を想像して『そうなった自分』なんて過去形で言うとなんだかキマる。カッコイイよね。

だから人は成長してゆく。いつまでもどこまでも。

じゃぁ成長させる原動力ってなんだろう?
「成長したくない」という想いが強いと背が伸びなかったりするのはなぜなんだろう?

成長の原動力、その源は自らの意志の力だと思ってきた。(本当はもう少し踏み込んだ深い想いがあるけれど、それは別の機会に。)

目的とは、夢に向かわせる意志。

目標とは、夢に日付をつけたもの。

計画とは、実行可能な目標達成カレンダー。

計画のズレとは、夢の一部が実現できなかっだけ。

そして夢に向かわせる意志の源が「成長したい」という意志の力なんだ。そんな生き方ができるとき、それは自分にとって心地よく、それに関与する周りの人も心地よい。

でも、人は決して自分の力だけでは成長できない。必ず他から与えられた力を必要とする。「エネルギー注入」という表現がぴったりかもしれない。そしてエネルギー保存の法則が「成長」として捉えられる訳だ。

成長するという意志を働かせ、夢をかなえるには力が必要で、でも自分はその力を持っていないし足りない。そこで他の人の力を貰うとか借りるとかして人は成長し力を得て、その夢を叶えてゆくことになる。

他人の力を貰ったとしても、プレゼントした人は当然の見返りを求める。それは感謝だ。

感謝とは、大切で貴重なものとして尊厳を与えられ愛着をもって扱い、扱われること。「あなたは大切な人です」「わたしは大切にされている」とお互いに示し示されること。

それで、生きるとは他人の力を借りることで、人生とはその借りを返すこと。

ということは、貰うことも借りることも、その違いはあまりない。返報はどんな場合も必要で、返すのは「愛」か「利息」かということになる。

「愛」という名の感謝、ちゃんと示しているかな?

社会の営みの中で自分の夢をかなえるには、他の人の助けがいる。ということは、他の人の助けを得るために『助けて!』と叫ばないといけない。

人は助けたい。

本能的に見て「助けが必要」とわかると、自分に力があれば行く。力が足りなければ周りに声を掛ける「誰か!」って。川で溺れている子どもがいる!(心動く・緊急事態)とか、羽つき餃子がめちゃくちゃ旨い!(心動く・感動)とか、人が動くのは実は同じ。

救いを与えてくれた命の恩人に、救われた人はず〜っと感謝するから。決して忘れない。もう神様のような扱い。

だから「お願い。買ってくれ!」は「助けて!」と同義。苦しい時期に救いを与えてくれた人々への感謝を、一生忘れない。だから

「お客さまは神様です」という日本人特有の感性が生まれ、感謝の念の厚い文化がそれを支えてきた。

海外では、サービス供給者が神のよう。感謝を受けるのはサービス供給者だからね。そして今どきの日本の若者文化は感謝が薄いと言われる一方で、抜群のサービス供給者には神様扱いしている。

「神ってる」一流のスポーツ選手への賛辞や、音楽やダンス、はたまた見事なサービス提供者に対して「神」と呼んでいる。

ということは今、サービス供給者には極めたもの、極上のサービスを提供することが求められており、それを可能にしたなら神のように扱われることになる。

ということで、サービス供給者は極上のサービスを提供しよう。そして神扱いを受けよう。そしてそこでは謙遜して「光栄です、お客さま。心より感謝致しております。」と切り替えそう。

こうやって互いに高め合いエネルギーを供給し合おう。そうすれば互いに成長し、夢の実現にまた少し近づけるようにお手伝いしてあげられる。

そしてやがて自分の夢が叶っていることに気づく。

神戸萬吉もブログ始めます。

神戸に住んで神戸の街での暮らしを楽しんでいる。ここ高台からは神戸港の水面(みなも)をキラキラと輝かせながら登る朝日を眺めながら、朝食を頂き、颯爽と出かけられる日々。確かにここでの暮らしは幸せだ。

昔、ドライブ好きのバイブルと言えば昭文社の「スーパーマップル」だった。今じゃほとんどの車にカーナビが付き、それがなくてもスマホのナビで事が足りる時代だから、神戸市の地図だけは他の地域と違っているんだってことは、忘れられてしまっているに違いない。

神戸市内だけ、他の地図とは違い30度ほど斜めに作られているんだ。神戸の街は全体的に南東向きで、阪神高速道路も北東から南西に向けて走っているところから、というか日本列島がそういう構造で山と海との間が狭いところに人が暮らし、ここ神戸はそれが特に目立って斜めに広がる街。

おかげで三宮から元町界隈は、山と街と海を一度に全部楽しめる。徒歩1時間以内で行けてしまうからね。

このあたり冬になると、少し南東向きに広く取られたベランダの窓から部屋の奥まで日が差し込み、おひさまから元気をもらえる。

今から120年前にできた日本最古の新興住宅街での暮らしを、外国人貿易商がたちがこの街を愛した訳が住んでみてよく分かる。さりげない石組みや外壁や塀も今ではどこでも見かける平凡なもの。でも実はオリジナル、日本で最初に作られたものがここにある。これを真似して広がっていったんだね。

だからここにいると色々な夢が広がる。

少し高台にあるおかげで都会の喧騒から離れつつも街の暮らしを存分に味わえるという贅沢が楽しめ、刺激を受けつつ遠くの海と太陽をみながら、山の空気を存分に味わいながら、夢が広がる。

そうやって元気がもらえるそんな神戸が、もっともっと元気になってくれたらといつも想い願っている。そうした思いの丈をこのブログに書き綴って、何かのお役に立って欲しいと思っている。

そんな思いでブログ始めます。