僕は「ドラえもん」といえば「大山のぶ代」しか認められないネイティブドラえもん世代だ。1969年、ドラえもんが20世紀に登場した。
その背景にはこんなことがあった。1969年に人類は月面に到達し科学は人類抱える諸問題全てを解決に向かわせると信じられた。1970年に大阪府吹田市で大阪万国博覧会が開かれた。シンボルは太陽の塔、今にも動き出しそうなアクティブ感満点モニュメントだ。日本は最先端の道をゆくと宣言するかのようなイベントだった。そんな時期に産まれた赤ちゃんたち、その後の日本の世界をネイティブに生きたそんな世代に向けて、ドラえもんテレビ放送が始まった。
ネイティブドラえもん世代
ネイティブドラえもん世代とは、21世紀の到来をワクワクしながら心待ちにした世代だ。21世紀には超高層ビルが立ち並ぶメトロポリスに強制移住させられ、街をつなぐ高架道路を宙に浮くよう制御された無音の車で笑顔を振りまきながら移動し、真冬でも真夏でも薄い長袖のつなぎを来て快適に暮らす日本人を夢見た世代。一方でさらにその先の未来は氷河期かもしれないと怯えていた世代でもある。コナンといえば「未来少年コナン」のことで、『コナンはのび太の子孫、未来の世代の別の姿じゃないの?』との想い馳せ、バック・トゥ・ザ・フューチャーで青春時代を謳歌した時代でもある。ガンダム1st世代でもあり、ラブ・ラブ・ミンキーモモに戦闘メカが登場するという破天荒を受け入れた最初の世代でもある。そしてバブルも少し味わった。
お笑いマンガ道場世代であり、ドリフターズ黄金時代でもある。
そうやって培われた豊かな感性が「カワイイおじさま」世代のコアにあたる人々の現代の価値観を形成してゆく。LEONが好き。だから、トヨタのCMはあんな作りにしたのか!といま気がづいた。
みんな持ってる夢・実現はポケットの中に
ドラえもんネイティブ世代の記憶のいい人は、こんなフレーズをどこかで読んだ記憶があるだろう。ドラえもんが始まる最初のコンセプトの一つがこれだった。“ポケットを叩くとビスケットが増える”という大人の感性で作られた子どもだましな歌にちょっと覚め始めた世代へ、このポケットの登場は衝撃を与えた!子どもたちの感性を見事に捉えたのだ。
四次元ポケットはワームホールと繋がり、そこに広がる無限の世界から知能が思いに浮かべた好きなことを引き寄せて、現実世界に持ってくるというサイエンス・フィクションに人間の性やエゴをオチにするという超高尚なギャグ漫画。
この笑いの中で、とても自然に子どもたちの感性の中に未来を思う気持ちを植え付けられた。そんな世代が醸成された。
僕らの住む世界、それがすなわち4次元です。
話したかったのはこのこと。
縦軸横軸を直角90°交差すると2次元、その中心に高さ軸を縦軸横軸に対して直角90°交差させて3次元になる。
でも、それは時間が止まった非日常の一瞬。ここで少し思考を働かせて欲しい。
実は人間はそれをダイレクトに認知できる感覚を持っていない。
目の前の物を平面で捉える目を2つ持っていて、その2つがあるおかげで、頭の中で重ねて、その重なりのズレから3次元を想像し、脳が足りないところを補正(補う…つまり勝手に想像)して捉えているのだ。
でも認知できたとしても、やっぱり時間が止まった一瞬なんてありえない。
映像技術を使っても、それは「そう見えるように処理している」だけの3次元認知。それは想像によるものだから、トリックですぐ騙される。
人間の認知力はこれが限界、なんだけど、現実世界はこの縦軸・横軸・高さ軸を同時に見て直角90度に交わるそんなところに時間軸が直角90度に交わり、過去から未来に向かってどんどん進み変化する―
これが本当の現実世界。僕らが暮らすこの世界が、すなわち四次元世界なのだ。そんな世界で人それぞれが自らの可能性を試すチャンスが与えられている。
子どものころから、ドラえもんネイティブ世代たちの感性はこういった世界の中でもまれ、そのおかげでもの凄く磨かれ、現代日本文化のベーシックを構成している。「夢って意外と簡単に叶うかも」と思う世代。
これって無理だと思うところに「これドラえもんならどうする?」的な発想をベーシックにできる世代を作ってしまった。ポケットからすっと取り出して「ほりゃらら〜」って言う感じで、単純な操作で簡単にやりたかったことをこなしてしまう。
そしてその世代の子どもたちが今や高校生なのである。こういった感性の人々が束になってかかれば、向かうところ敵なしなのだ!