「壱万円」と特別配合のインクを使い精巧に印刷された紙。それに火を近づけるといとも簡単に燃えて無くなる―人々はそれを「お金(おかね)」と呼ぶ。
火を近づけて燃やすことなどきっとしないだろう。その紙に記載された壱万円には ¥10,000- 分の価値が保証されているので、その価値を他のものに換えることになる。いわゆる「買う」ということだ。
誰が綺麗に「壱万円」と印刷された紙に ¥10,000- の価値を保証しているのだろう。意識してその紙を見てみよう。なんて書いてある?
「日本銀行券」そう、つまりは日本銀行がその価値を保証している。
その存在は、日本国の法律に定められた機関だが本質は民間企業。日本国も出資しているが、個人もかなり(1/4)出資している。その民間銀行が日本国の中央銀行の役割を担い、日本銀行券の流通をコントロールしてお金の価値を維持していることになっている。
価値の本質を考えるとお金の姿が見えてくる
「壱万円」と印刷した、たかが紙であるはずなのに、お金としての価値があるとはどういうことなのだろうか?
価値とはなんだろう?
易しい言葉で表現すると「私にとって大事なものや大切なこと」。
ここでは「大事なもの」としよう。この「大事なもの」は君の暮らしを維持するのに役立ってきた。
その「大事なもの」がなかったとき、たくさん体力を使ってある「大切なこと」を行なっていた。でも君がその「大事なもの」を作り出してからは、「大事なもの」のおかげで「大切なこと」を楽にこなせるようになり、余った体力を他のことに振り向けて、暮らし向きをよくすることができた。
眺めてその姿はなかなか格好いい。自分には芸術的センスがあると自負できるほどだ。他の人もみな褒めてくれるから嬉しくなって使い方を見せ、とてもいい感じになるのを他人も知るようなった。
すると「ちょっと貸して」「ぼくも」「わたしも」と近くに住む人の役に立つようになった。やがて人々はいろいろ持参するようになった。ある人は取れたての野菜、ある人は果物、ある人は鶏、ある人は豚あるいは牛というように…。「ありがとう!とても助かった」という感謝に添えて。
この人は「大事なもの」を作り他人に貸すことで、他人も「大切なこと」を楽にこなせるようにし、他人も余った体力を他のことに振り向けることができた。それで「大事なもの」の所有者である君は他人の省力化に貢献したので、野菜や果物や鶏や豚や牛などを擁する富んだ人になっていった。人々から多くの感謝を受け人々からの信頼は日に日に増していった。
「大事なもの」よって省力化を発生させ、他に振り向けられる余分な「力」を生じさせたのだ。
これをまとめると、価値は「力」パワーということになる。
「お金には換えられない大切なこと」ってあると思う。だがこの言葉の表現で、お金に交換可能な価値があることを表現している。
お金の価値は人々によって与えられている。それはパワーである。