価値とは「わたしの大事なもの、大切なこと」。そこから生み出されるものは力、自分の中に湧き上がる力(パワー)だ。これを「生き甲斐」と呼ぶ人もいる。生きようとする活力だ。
価値とは、すなわち力(パワー)のこと。
何かを生み出すにもパワーがいる。その何かを移動させるにもパワーが必要だ。人の手で運べる程度の重さと距離なら人が運ぶだろう。しかし人の限界を超えたなら、なにか別の手段が必要になる。
パワーを交換可能にする道具
自分だけで移動した先で、何か用意して運ぶ必要が生じたらどうするだろう?
もし互いに合意した交換の手段として、その交換方法の約束を書いた書類が用意され、その内容が遠く離れた2つの場所で保証される仕組みがあったなら、その人は事前に書類を用意して何も持たずに移動すれば良い。
余分なものを持たずに済み身軽に素早く移動できる。その温存された体力と時間の節約がパワーを生み出すことになる。この互いに交換可能な約束が書かれた書類の有効性と中身を保証する仕組み。
その約束事をお互いに石に記したり、重さや大きさで表現することに合意し、そういったものが「貨幣」となり、やがてそれを貴金属にしてより大きな価値を「お金」として動かせるようになっていった。
つまり、価値であるパワーの分量を数字で記載し(あるいは重さによって数を定め)、互いに交換に合意してあるものが「お金」だ。お金はパワーを記録したもの。いまどきの表現にするなら「仮想パワー」ということになる。
「お金」(貨幣)は今から4500年も昔のメソポタミアで使われていた。それは考古学上の発見からわかっている。この仕組は、太古の昔からその有効性が認められていたのだ。
お金そのものにパワーがあるわけではない。それは仮想的なもの想像上のものだ。その仮想的であり想像上の付与された数字の意味する分だけ、パワーと交換可能という約束がみんなで合意されている。ということなのだ。
この約束を日本政府が保証しているので、この合意内容から逸脱すると違法であり厳罰が待っている。ある場合は裁判になり、民事裁判や刑事裁判になる。
お金の価値は仮想パワーである。お金はその価値を記載してある互いに約束した合意文書である。