お客さまは神さまなのか?

人が大きな目標を捉えてゆく過程について、原点に立って考えてみた。

人はみな成長したい。大きくなって進歩するってことは良いことだ。そのはずだ。それはクールだった。たとえば、未来の自分を想像して『そうなった自分』なんて過去形で言うとなんだかキマる。カッコイイよね。

だから人は成長してゆく。いつまでもどこまでも。

じゃぁ成長させる原動力ってなんだろう?
「成長したくない」という想いが強いと背が伸びなかったりするのはなぜなんだろう?

成長の原動力、その源は自らの意志の力だと思ってきた。(本当はもう少し踏み込んだ深い想いがあるけれど、それは別の機会に。)

目的とは、夢に向かわせる意志。

目標とは、夢に日付をつけたもの。

計画とは、実行可能な目標達成カレンダー。

計画のズレとは、夢の一部が実現できなかっだけ。

そして夢に向かわせる意志の源が「成長したい」という意志の力なんだ。そんな生き方ができるとき、それは自分にとって心地よく、それに関与する周りの人も心地よい。

でも、人は決して自分の力だけでは成長できない。必ず他から与えられた力を必要とする。「エネルギー注入」という表現がぴったりかもしれない。そしてエネルギー保存の法則が「成長」として捉えられる訳だ。

成長するという意志を働かせ、夢をかなえるには力が必要で、でも自分はその力を持っていないし足りない。そこで他の人の力を貰うとか借りるとかして人は成長し力を得て、その夢を叶えてゆくことになる。

他人の力を貰ったとしても、プレゼントした人は当然の見返りを求める。それは感謝だ。

感謝とは、大切で貴重なものとして尊厳を与えられ愛着をもって扱い、扱われること。「あなたは大切な人です」「わたしは大切にされている」とお互いに示し示されること。

それで、生きるとは他人の力を借りることで、人生とはその借りを返すこと。

ということは、貰うことも借りることも、その違いはあまりない。返報はどんな場合も必要で、返すのは「愛」か「利息」かということになる。

「愛」という名の感謝、ちゃんと示しているかな?

社会の営みの中で自分の夢をかなえるには、他の人の助けがいる。ということは、他の人の助けを得るために『助けて!』と叫ばないといけない。

人は助けたい。

本能的に見て「助けが必要」とわかると、自分に力があれば行く。力が足りなければ周りに声を掛ける「誰か!」って。川で溺れている子どもがいる!(心動く・緊急事態)とか、羽つき餃子がめちゃくちゃ旨い!(心動く・感動)とか、人が動くのは実は同じ。

救いを与えてくれた命の恩人に、救われた人はず〜っと感謝するから。決して忘れない。もう神様のような扱い。

だから「お願い。買ってくれ!」は「助けて!」と同義。苦しい時期に救いを与えてくれた人々への感謝を、一生忘れない。だから

「お客さまは神様です」という日本人特有の感性が生まれ、感謝の念の厚い文化がそれを支えてきた。

海外では、サービス供給者が神のよう。感謝を受けるのはサービス供給者だからね。そして今どきの日本の若者文化は感謝が薄いと言われる一方で、抜群のサービス供給者には神様扱いしている。

「神ってる」一流のスポーツ選手への賛辞や、音楽やダンス、はたまた見事なサービス提供者に対して「神」と呼んでいる。

ということは今、サービス供給者には極めたもの、極上のサービスを提供することが求められており、それを可能にしたなら神のように扱われることになる。

ということで、サービス供給者は極上のサービスを提供しよう。そして神扱いを受けよう。そしてそこでは謙遜して「光栄です、お客さま。心より感謝致しております。」と切り替えそう。

こうやって互いに高め合いエネルギーを供給し合おう。そうすれば互いに成長し、夢の実現にまた少し近づけるようにお手伝いしてあげられる。

そしてやがて自分の夢が叶っていることに気づく。

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